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分福茶釜 [群馬]

館林にある「茂林寺」に行ってきました
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参道にはタヌキが沢山いますね
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それもフラダンサー姿
面白いですね
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ビキニを付けていたのでよく見ましたが、タヌキさんは全てオスでした
メスはいない感じですね
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茂林寺は  (茂林寺のホームページより引用)
曹洞宗の名刹、青龍山茂林寺は、その開山を大林正通としています
正通は美濃国土岐氏の出目で、華叟派の祖、龍泰寺開山華叟正蕚の法嗣でした
寺伝によると、正通は諸国行脚の折、上野国に立ち寄り、伊香保山麓で守鶴と出会います
この守鶴は、のちに茂林寺に分福茶釜を持ち込んだ老僧です
応永三十三年、正通は守鶴を伴い、館林の地に来住し、小庵を結びます。応仁二年、青柳城主赤井正光(照光)は、 正通に深く帰依し、自領地の内八万坪を寄進し、小庵を改めて堂宇を建立し、青龍山茂林寺と号しました。正光(照光)は、自ら当山の開基大檀那となり、伽藍の維持に務めました。大永二年には、後柏原天皇から勅願寺の綸旨を賜ります
寛永十九年(1642)には、三代将軍徳川家光より二十三石四斗余の朱印を下賜されております
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当山は分福茶釜の寺として知られております
寺伝によると、開山大林正通に従って、伊香保から館林に来た守鶴は、代々の住職に仕えました
元亀元年(1570)、七世月舟正初の代に茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました
その時、守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。ところが、この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした
守鶴は、自らこの茶釜を、福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言いました
その後、守鶴は十世天南正青の代に、熟睡していて手足に毛が生え、尾が付いた狢(狸の説もある)の正体を現わしてしまいます。これ以上、当寺にはいられないと悟った守鶴は、名残を惜しみ、人々に源平屋島の合戦と釈迦の説法の二場面を再現して見せます
人々が感涙にむせぶ中、守鶴は狢の姿となり、飛び去りました
時は天正十五年(一五八七)二月二十八日。守鵜が開山大林正通と小庵を結んでから百六十一年の月日が経っていました
後にこの寺伝は、明治・大正期の作家、巌谷小波氏によってお伽噺「文福茶釜」として出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られる事になりました
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なかなかいい雰囲気のお寺です
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東武鉄道寄贈のタヌキです
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季節季節に色々な服を着ているようです
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参道のお店には沢山のタヌキが売られていました
可愛いですね
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なかなか面白ところを見学出来ました
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宇都宮から一時間程度の所にあります
初めて行きましたが楽しいところです


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コメント 6

馬爺

おはようございます、
茂林寺は文福茶釜で有名なお寺ですね、同じ狸で有名なお寺がもう一つありましたね、(証城寺でしたね)なぜ狸の焼き物には雄が多いのでしょうね。
by 馬爺 (2015-08-04 09:41) 

barbie

フラ姿のタヌちゃんが可愛いですね
これぐらいのボリュームの方がフラの衣装は似合うみたいです(⌒▽⌒)
by barbie (2015-08-04 13:20) 

tochi

馬爺 さん

こんにちは
確かに雄が多いですね
なぜですかね
by tochi (2015-08-04 15:42) 

tochi

barbie さん

こんにちは
狸の置物に色々な服をつけるといい鴨
ファッションシーですね
by tochi (2015-08-04 15:45) 

いっぷく

「喜劇駅前茶釜」で映画の舞台にもなりましたね
by いっぷく (2015-08-05 02:41) 

tochi

いっぷく さん

こんにちは
映画の舞台になったのですか
知りませんでした
でもそんな感じもしますね
by tochi (2015-08-05 07:27) 

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