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七不思議 [栃木・鹿沼]

栃木市にある「大中寺」です
参道がなんとなく神秘的です
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太平山南麓の山懐につつまれた名刹大中寺は、はじめ真言宗の寺として久寿(きゅうじゅ)年間(1154~1155)に建てられたが、その後、衰退していたのを快庵妙慶禅師(かいあんみょうけいぜんし)が延徳(えんとく)元年(1489)に曹洞宗の寺として再興したという。
戦国時代、越後の上杉謙信は関東管領職を受けて、北関東に進出すると大中寺の6世住職快叟(かいそう)が叔父であったことから、この寺を厚く保護し、永禄4年(1561)、当時、焼失していた伽藍の修復を行っている。永禄11年(1568)、謙信が北条氏康と和議を結んだのもこの寺である。
その後、火災にあって焼けているが、天正3年(1575)、七世天嶺呑補(てんれいどんぽ)のときに再建、九世柏堂(はくどう)の天正19年(1591)には、関東曹洞宗の僧録職を命ぜられ寺領100石を与えられた。徳川家の信任厚く曹洞宗の徒弟修業の道場として栄え、大正初期まで参集する雲水でにぎわったという。
山門は、皆川城の裏門(搦手門(からめてもん))を元和2年(1616)に移築したものといわれており、古建築物の一つとして貴重なものである。
上田秋成の「雨月物語」にある青頭巾はこの寺を舞台として書かれたものであり、また、この寺に伝わる七不思議の伝説も有名である。   栃木市観光協会より
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そしてここには七不思議があります

油坂
このお寺で修行していた小僧さんが、夜も勉強したくて本堂の油をぬすんで追われ、この階段からころげ落ちたのが原因で死んでしまった。そのあとこの階段を上がったり、下りたりする人は大けがをするようになった
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馬首の井戸
武将が戦いにやぶれ、この寺ににげこんできた。かくまてくれるようにたのんだが、お寺の住職がことわった。武将はうらみをもち、自分の馬の首を切ってこの井戸の中に投げいれた。このあとこの井戸から馬のなき声がきこえたという
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開かずの雪隠
馬の首を切って井戸に投げ入れた武将の妻もやはり敵におわれて、この寺の雪隠に逃げこんだ。この妻は「敵につかまるなら」と、この雪隠の中で自殺した。それからはここの戸は開けられたことがないと伝えられている。
※雪隠とはトイレのこと
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不断のかまど
この寺で修行をしていた小僧が寺のものからかくれて、かまどの中にかくれて居眠りをしてしまった。それとも知らずに寺の男が火をたきつけたため、その小僧は焼け死んでしまった。それからは、まちがってかまどに入って居眠りをすることのないように、ずっと火をつけておくことにしたという
※残念なから見られませんでした
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枕返しの間
ある旅人がこの寺にお願いして、一晩とめてもらった。この部屋で本尊の方に足を向けて寝たところ、次の日、目がさめると頭が本尊の方を向いていたという。びっくりした旅の男は失礼なことをしたとあやまったという
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東山一口拍子木
大中寺の東の方にある山の中から拍子木の音が一声だけ聞こえると、かならず寺にわるいことがおこると伝えられている。その音は大中寺の住職にしか聞こえないという
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根無し藤
大中寺を開いたお坊さんが鬼坊主の霊をとむらうために、この場所に杖をさした。その杖がどんどん成長したといわれている。古い藤の木でからみあっていて、不気味な感じがする
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こんな感じのお寺です
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