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反射炉跡 [茨城]

幕末、那珂湊沖にも異国船が出没するようになり、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公が、海防の要を唱えて領内各地に砲台を築くため、大砲鋳造を目的として当吾妻台に建設したのが反射炉(大型の金属溶解炉)です
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建設にあたっては、薩摩藩士竹下矩方、三春藩士熊田宗弘、南部藩士大島高任らの協力を得て、那珂湊の大工飛田与七や瓦職人福井仙吉が尽力しそうです
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安政2年(1855年)に1号炉(西炉)、同4年に2号炉(東炉)が完成した。高さ約15m、使用された耐火煉瓦は約4万枚といわれている
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元治元年(1864年)の元治甲子の乱で破壊され、昭和12年に現在の模型が、ほぼ原形どおりに復元されました
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白黒フィルム撮影です