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『永遠の0』 筑波海軍航空隊記念館 [茨城]

こんな所に行ってきました
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筑波海軍航空隊記念館
ここは、物語の設定で『永遠の0』の主人公や登場人物達が所属した海軍航空基地です
滑走路や司令部庁舎などがほぼ当時のまま残っていて、映画のロケも筑波海軍航空隊での出来事は、ほぼ本物の基地を使用して撮影されました
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中に入ると石造りの階段があります
つるつるしています
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館内には色々なものが展示してあり興味深深で時間を忘れてしまいます
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そして各部屋は自由に入れます
ロケにも使われたので当時を再現してあります
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そして二階のバルコニーからの眺めです
正面は飛行場跡になります
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そして此処もロケに使われました
病室を再現してあります
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廊下の雰囲気もいいですね
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筑波隊の金井少尉が文通していた女学生に贈ったペンダント
コクピットのガラス片で作ったもので二人のイニシャルが刻んでありました
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大きなポスターも貼られていました
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そしてゼロ戦の模型の展示も・・・
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神風特別攻撃隊 筑波隊
映画『永遠の0』の劇中、九州の鹿屋基地から特攻隊として出撃した若者たちがアメリカ空母まで辿りつく事が出来ずに撃墜されるシーンが描かれています
彼らは主人公宮部久蔵の教え子である事からも想像は出来ますが、出撃時に「筑波隊~」と書いた『のぼり旗』が掲げられている事や、カタカナの「ツ」で始まる機体が登場している事から(筑波海軍航空隊所属の機体は「ツ-131」の様に「ツクバ」の「ツ」が機体番号に使われました。)、【神風特別攻撃隊 筑波隊】という設定である事が分かります
実際の筑波海軍航空隊出身の特攻隊員は、【神風特別攻撃隊 筑波隊】として鹿屋基地から出撃し、多くの若者が亡くなりました
その隊員ひとりひとりにも、物語があった事を筑波海軍航空隊記念館では紹介しています
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号令台も当時のままに残っています
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映画『永遠の0』の公開を記念して、2013年12月20日から期間限定で記念館として公開します
今まで人の目に触れる機会が無かった施設ですが、本物の基地で当時を体感できます
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大正 7年  7月 農林省,友部種羊場設置(大正13年に北海道に移転)
大正15年 3月 茨城県種畜場が国立種羊場跡に移転し業務開始
昭和 2年 2月 日本国民高等学校が開校
昭和 9年 8月 霞ヶ浦海軍航空隊友部分遺隊開隊,練習機により操縦基礎教育を開始
昭和13年 12月 筑波海軍航空隊(以下「筑波空」という。)として独立,第11練習連合航空隊に編入
昭和19年 3月 九三式陸上中間練習機部隊は筑城(ちくき)航空隊(福岡県)に転出,代わって大分航空隊か ら零戦隊が転入,実用機(戦闘機)課程の練習航空隊となる
11月 大本営はフィリピン戦作戦のため,筑波空の各航空隊に特攻隊の編成の命令,筑波空で編成された特攻隊25名はフィリピン第201航空隊に転出,12月から1月にかけて金剛隊として12名散華
昭和20年 2月 関東一円にアメリカ機動部隊の空襲,筑波空の零戦,紫電隊が迎撃
4月 神風特別攻撃隊第1筑波隊17名,鹿屋基地より出撃。
6月 第1神雷爆撃隊7名散華(5名は筑波空)
8月 終戦
12月 航空隊跡地に開拓仮事務所ができる
昭和21年 4月 航空隊跡地に開拓入植はじまる
5月 水戸高等学校,航空隊跡地に移転
昭和23年 6月 宍戸中学校,航空隊跡地に移転
9月 茨城青年師範学校,航空隊跡地に移転
昭和35年 8月 茨城県立友部病院開設
10月 運輸省航空局友部送信所開設