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太平山神社 [栃木・鹿沼]

太平山神社の随神門(ずいしんもん)です
この随神門(ずいしんもん)は太平山神社の神門であり、享保8年(1723)、徳川八代将軍吉宗公によって建築されました
表には左大臣・右大臣、後ろに仁王を配しています
仁王像が配されているのは、太平山が江戸時代までは社寺の山として栄えていた名残です
天井の龍の絵は、第14代将軍家茂公の時代の五楽院法眼等随の筆で、雲を起こして昇天した龍が空高く舞い遊ぶ様子が描かれています
建築方法は「入母屋造り扇垂木」で俗に傘(からかさ)天井と呼ばれます
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そして此処を潜り先へ進むとこの階段が待っています
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一体何段あるのですかね
最初はいいのですが、だんだんつらくなります
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上からの眺めです
転ぶと大変ですよ
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やっと昇りつきました
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階段を登った正面が本殿です

太平山神社のホームページからの引用です
太平山神社の歴史は『諸神座記』を始め多くの古文書によれば、垂仁天皇の御宇に大物主神(おおものぬしのかみ)・天目一大神(あめのまひとつのおおかみ)が三輪山(現在の太平山)に鎮座されたときに始まると云われております。今からおよそ二千年も前のことですが、太平山神社の周辺からは古い時代の祭祀遺跡・祭祀遺物が出土しており、太平山は非常に古くから信仰されていた山であったことが伺い知れます。
『太平山開山記』によれば、「円仁(慈覚大師)は何年にもわたり太平山の入山を拒否されていたが、淳和天皇の御代の天長4年(827)、天皇の勅額を奉じることでついに入山を果たした」とあります。これが今日伝えられている「天長四年慈覚大師開山説」で、旧暦1月8日に執り行われる神蛇祭(しんださい)の祝詞にも伝えられています。こうして太平山神社は「神仏」を祭る山としての第一歩を迎えたのです。この後、太平山は神鎮まる御山として一大宗教の霊地となり、摂末社および寺院が八十余遷座・建立されました。
さらに明徳3年(1392)には後小松天皇から「太平山神社」の額を下賜されましたが、天正13年(1585)の戦火で、これら淳和・後小松両天皇の額は焼失してしまいました。
戦国時代に北条氏と対立する上杉謙信が太平山から関東を臨んだという言い伝えが残っているほど、関東平野を一望できる地に太平山神社は鎮座しております。天正年間に兵火によって社殿が焼失してしまう不幸がありましたが、近世の初期には早くも復興し、徳川幕府から朱印地50石を認められました。さらに寛政年中(1789~1801)には「御願御抱場」となるなど、民衆のみならず朝廷や幕府からも「天下太平を祈る社」として信仰されました。『雲上明鑑』『雲上明覧』にも「下野 太平山宮司」「野州 大平山神主」または「野州 大平山別當」と記載されるなど、武家伝奏が朝廷へ執奏する社でもありました。
太平山神社は様々な歴史を経て参りましたが、古い昔から、多くの人々の心を支え続けてきたのです。

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この時期は何処の神社に行ってもこれがありますね
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太平山神社まではめったに行きませんが、いいところですよ